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阪神・淡路大震災から25年

掲載日:2020/01/20

 1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きてから25年。
 地震、津波、台風、豪雨、洪水と、日本では災害の多い四半世紀でした。

「1月17日、マグニチュード7.2の直下型地震が神戸を襲いました。突然生まれた非日常の世界。その中で高齢者・障害者・外国人・子ども・女性といった社会的弱者は、より多くの被害のしわ寄せを受け、社会問題を顕在化させた」と書き残しているのは「女たちが語る阪神・淡路大震災(1996年)」です。

 実際に阪神・淡路大震災が起き、死傷者は5万人にのぼりましたが、犠牲者は女性の方が1,000人上回り、中でも高齢女性が多かったと言われています。
 防災・減災に関する意思決定の場への女性の不参画、それに伴う男女共同参画の視点の欠如、が指摘されました。この事態に危機感を抱いた女性たちは声を上げ「男女共同参画の視点からの防災政策の強化」を政府に要望しました。

 しかし、政府は「男女共同参画の視点」からの防災政策を見直しを行うことなく、その後に起きた新潟中越地震で、再び女性や高齢者たちは様々な困難に直面することになりました。2005年に行われた防災計画の大幅な見直しに伴い、ようやく「男女双方の視点への配慮」が書き込まれましたが、具体的な政策として展開されませんでした。そして迎えたのが、2011年3月11日の東日本大震災です。

 東日本大震災は地震・津波・原発事故が重なり、東北3県にまたがる大規模な災害だったため被災者は長期の避難所生活を強いられました。しかし、避難所は多様な人たちが集まる所ですが、その人達のニーズや悩みを吸い上げ、適切に対応し支援する準備ができていたとは言えません。車椅子の障害者は和式トイレが使えないために、また聴覚・視覚過敏がある障害者は、避難所ではまわりの人たちとコミュニケーションが上手に取れないために、避難所生活をつづけることがでず、半壊した自宅に戻らざるをえないケースもありました。
 避難所生活が難しいのは、自立しての食事、着替えなどの日常生活ができない高齢者です。私も87歳。20年前から足の膝の関節炎をわずらい、正座はできないし、立ったり座ったりするのが難しくなっています。そのため、床に座ったり、寝たりしなければならない避難所生活では、いろいろな困難に直面しそうです。
 高齢者のみならず、多様な人たちが集まる避難所では、その人達のニーズや悩みを吸い上げ、適切に対応し支援する必要がありますが、そうした事態を事前に想定し、地域住民や民間企業、行政が連携して災害への準備体制を構築することが必要ではないでしょうか。 
 千葉県知事に就任した時、私は「知事の最も重要な役割はリスク管理だと認識している」と明言しました。自然災害に限りません。環境汚染、工場の爆発、都市火災など現代社会は多様なリスクを抱えている、つまり潜在的にリスクにつながる構造的な脆弱性が存在していると考えるからです。
 現在、気候変動の影響なのか、世界規模で自然災害が増えていますが、なかでも日本は自然災害が多い国です。したがって日本列島に住む私たちは、災害への備え、さらに広い意味でのリスク管理が、日常生活に欠かせない心構えだと思います。
 ここでもう一つ大切なのは、「災害と女性」の問題です。とかく女性は弱者としてくくられがちですが、本当に女性は弱者なのでしょうか。病人、妊娠している女性などは別として、地域でも、職場でも、家庭でも、女性は力を発揮しています。ですから女性は平常時から防災・減災の領域でも問題意識をもち、男性と平等に意思決定の場、例えば防災会議や避難所の運営委員会、復興委員会、さらに防災訓練などに参加することが求められています。
 災害に強い地域社会をつくるためには、町内会や自治会など地域の運営に、女性や高齢者、障害者、外国人などが進んで参加し、情報を共有し、連携・協力関係を構築する必要があります。

 阪神・淡路大震災から25年、女性は防災・減災の分野に以前より積極的に参加していますが、充分とは言えません。より主体的に取り込むことが求められていますが。それは男性主導して組織してきた防災組織や災害対応体制を変革する必要があります。 

男女共同参画と災害ネットワーク代表 堂本暁子